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金王道場の歴史

蔵修館金王道場の創設は、昭和42年3月初代館長の比留間晄先生(金王八幡宮 宮司)の発案に基づいて設立され、青少年の未来を見据えた“健全なる青少年の育成について”社会に貢献するという大きな夢の実現のため地域に密着した活動の一つとして、境内で遊ぶ子供達に呼び掛け、6名の児童により金王道場が誕生しました。

 

常日頃、子供達の目線による指導と奉仕の精神による純粋な活動へのご苦労とそのご尽力に、近隣に住む剣道経験者や父母の惜しみない協力をいただくようになり、創設一年後には渋谷区剣道連盟初代会長の本橋兼義先生のお誘いを受け、連盟への加盟となりました。また、道場の運営が軌道に乗るに従い、父兄会(現後援会)発足等、現在の繁栄の基礎が築かれました。

 

季節を感じながらの青空道場での8年余を経て、金王八幡宮の隣に鎮座する豊栄稲荷神社の境内に、昭和50年8月研修道場として現在の蔵修館が落成。砂塵の中での稽古に別れを告げ、道場名も「蔵修館金王道場」と改名し、登録会員数約130名という大世帯の中、新会員は道場屋上において基本稽古にと盛況を極めました。

 

比留間先生は、平成4年6月10日享年72歳をもって、完成された道場に夢の実現を次代に託し、ご家族、会員、関係者に惜しまれながら永眠されました。比留間先生の夢は、前館長阿久津啓子氏(前金王八幡宮宮司)に託され、その後、現館長安原信先生、副館長比留間広明氏(現金王八幡宮宮司)に引き継がれ今日に至ります。

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蔵修館金王道場の基本理念

当道場は剣道を通じて心身を鍛錬し、礼儀正しく、質実剛健にして己に克ち、敬神崇祖、尊皇愛国、常に奉仕の精神を以て明るく清く、大御心を載きて家族的、道義国家日本の建設に努め、共存共栄の平和な世界の創造に貢献し得る青少年の育成、自己研修を目的とする。

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蔵脩館 名前の由来

蔵脩館の名は書家の氏家史山先生が中国の「蔵脩游息」の言葉より選んで額の揮亳をして下さいました。

※「蔵脩」とは常に学問を修得して怠らないこと。「游息」とは正課以外の休息の時にも心を学問に向けていること、と大漢和字典にあります。四六時中一生懸命に修行に励むことと思います。

​ぞうしゅう
ゆうそく
きごう

はじめに

本道場は昭和42年3月中旬に金王八幡宮境内で遊ぶ子供達に初代館長の比留間晄先生(当時金王八幡神社宮司)が声を掛けられたのが切掛けとなり、兼ねてより健全なる青少年の育成と日本の将来を担う青少年の指導に関心をもっておられた先生は、即座に6名の児童に呼び掛け境内に於ける青空道場を設立。私もその時点より先生のお誘いと御趣旨に賛同し、二人三脚で今日までお手伝いをさせていただいて参りました。

 

昭和50年8月には青空道場に別れを告げ現在の「蔵修館金王道場」と生まれかわり現在に至っております。この道場の設立の趣旨は勿論、児童達に雨、露を凌げる道場と、本当に剣道を愛し自らを律し、稽古をしたくとも道場のない人達、昇段のために稽古に励みたいが道場が遠い方々に開放し、他に武道に関する団体等の利用で今日まで初代館長の比留間晄先生の主旨が引き継がれて来ています。

 

しかし比留間館長も平成4年6月10日、享年72歳をもって亡くなられ、二代館長として阿久津啓子先生(比留間晄先生のご長女)に引き継がれましたが、平成21年2月、不肖私がその重責をお受けする事となりました。蔵修館金王道場の伝統と初代館長の遺志に従い一本の竹刀を通じて青少年の心身の健全育成と、剣道に関するものの考え方、理念に基づいて自己啓発に精進される剣道愛好者と共にその目的の達成のために一層努力を重ね42年に亘る伝統と武道の殿堂である当蔵修館金王道場を関係者並びに会員と共に守って行きたいものと念じております。

 

令和4年4月吉日

蔵修館金王道場

館長 安原 信

創設者:比留間 晄

館長(代表):安原 信

副館長(副代表):比留間 広明

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初代館長 遺稿

みんなに支えられて20年

比留間 晄

 

剣道は全く素人の私、中学生時代正果の剣道をやっただけの私である。昭和42年春、子供たちの剣道教室を開く話がでた時、まず剣道に関する本を3冊ほど買ってきて読みながら、中学時代に教わった事を思い出し、基本練習を始めた。子供たちにどのように教えたら良いかを考え、指導の順序などをメモして毎日の指導計画を立てたりした。併し矢張りの素人である。

 

困っている時に、安原先生が来てくれた。やがて山本、長谷川、久戸の三先生が加わり、広尾の山内先生の指導も戴いた。昭和50年9月、蔵修館道場も出来、広尾の高瀬、菅原、金子の諸先生、猿楽の山中先生も来てくださるようになった。その後、岸浪、久我、井上、大塚の諸先生が指導部に加わり、中村、花房の両先生も来られるようになった。最近は道場で、有段者となった伊達、志和両氏も加わった。折に触れて藤平、星、田中の諸先生にもご指導を戴いた。

 

安原先生は、お住まいが横浜に移られた後も、木曜日はお仕事の帰りに、日曜日はわざわざ横浜より指導に来てくださった。お仕事の関係で昨年よりご指導を戴けなくなった現在、何時も来てくださる久我、大塚の両先生を中心に、山本岸浪、花房、伊達、志和の諸先生、特に山中先生のご指導も戴いている。(中村先生は今春より北海道勤務)先輩の中では、岡部、伊東、野﨑(潤)、織井の諸兄が次々に中心になって子供達を指導してくれた。

 

(中略)

 

青少年剣道教室の目的は剣道の修行を通じて立派な日本人を作ることにあると思う。特に私は社会人となった後、何れの職においても指導的立場に立って社会に貢献してほしいと願っている。だから先輩は後輩の模範となり、後輩を指導する気持ちを常にもってほしいと思っている。指導すると云うことは難しい事であると同時に、自己の修練にも大変に役立つものであるからである。

 

子供が好きでなければ子供の指導は出来ない。一人一人の子供の性格、心を見長所、欠点を見つけて、その子供にあった指導をしなければならない。又、剣道は基本が大切であると云う。何事にもそうであるが、基本の修得には大変な努力と忍耐が必要である。習、性となるまで努力しなければならない。

 

昭和59年秋の渋谷区の剣道大会に道場で育った先輩等が一般の部で優勝したときは涙が出るほど嬉しかったが、勝つことよりも、常に基本に立ち返っての練習を怠らないでほしいと思っている。

 

最後に、我が国の天皇さまを「神武天皇」と申上げる。「神武」これが日本における武道の心である。又、武道は勿論、茶道、華道なども皆「道」がつき、また武士の魂、商人の魂など「魂」がつく。皆それぞれの修業、毎日の生活を通じて、人間の「道」を修業し、「魂」を修練することが大切である。

 

 

※これは平成元年に蔵脩館金王道場発足20年を記念し出版された『20年のあゆみ』に掲載された故比留間先生の「館長挨拶」より抜粋したものです。

月刊 『剣道日本』2020年4月号より
株式会社剣道日本の承諾を得て掲載しております。

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